2013/06/16

松坂城跡

一度目の亀山城の時も18切符を使っていたので、その後はさらに足を伸ばして松坂城跡へ。

松坂城は蒲生氏郷によって築かれた梯郭式平山城。伊勢国に移封された日野城主・蒲生氏郷は最初松ヶ島城へ入城した。しかし、伊勢湾に面した松ヶ島では城下町の発展性が無いと考え、この地に築城した。このとき、秀吉の居城「大坂城」の一字をを拝領して「松坂城」と命名した。(だから「松阪城」では無く「松坂城」)
蒲生氏郷が徳川家康と伊達政宗の牽制のために60万石という大封を得て会津に移封した後は、服部一忠が入城した。服部一忠と言われて分かる人はほとんどいないだろうが、若い時の名前は服部小平太…つまり桶狭間で今川義元に一番槍を付けた人物である。(私も、このBLOGを書くために調べていて初めて知ったw) 桶狭間以降は信長の下で目立った戦功が無く、秀吉に仕えた後に小田原攻めで戦功をあげて松阪城主に抜擢された。(しかし後の秀次事件の時に連座責任で切腹した)
江戸時代初期には紀州藩の藩領となり、城代が置かれるようになった。
維新後の廃城令等により建造物は破却されたが、現在は「松阪公園」として整備され、日本100名城にも指定されている。

とにかく城の四方に積まれた高石垣が素晴らしい(北西の辺だけは見ていないが)。氏郷は安土城の築城にも加わったが、そのときに石垣を築いた「穴太衆」と呼ばれる近江国の石工集団を使って、松坂城を築いた。



①登城口
松阪駅の北側にある大通りに出て、そこから西に進むと松坂城の登城口に出る。
いきなり石垣の連なりを見せられて、否が応にも期待が高まる。






②表門跡
その登城口からすぐ表門跡に出る。ここから左右どちらに進んでもOKだが、右(北西)の方に進む。


③鐘の櫓跡
松坂城北にある鐘の櫓跡。


④敵見櫓台石垣?
表門跡から本丸の北西部側を通って、裏側のきたい丸跡へ行ったが、その途中にある石垣。恐らく、敵見櫓台石垣?
場所のメモが残っていないので、自信無し


⑤きたい丸跡
本丸跡の西側にある「きたい丸」跡


⑥きたい丸跡から見た天守台石垣
きたい丸跡から北東方向の天守台石垣を見る。左奥に見えるのが、敵見櫓台石垣。


⑦天守台
かつて三層の天守が建っていた。


⑧天守台から西側の眺望


⑨本丸跡
天守台から本丸跡を見下ろす。


⑩金の間櫓跡
本丸の東隅にある金の間櫓跡。


⑪中御門跡から本丸跡への階段
本丸跡東側の階段を降りて、二の丸へ行く


⑫月見櫓跡
本丸と二の丸の間にある曲輪の東隅にある月見櫓跡


⑬二の丸西側の高石垣
さらに裏門跡から城の南側に降りて、二の丸高石垣を見る。


⑭南隅の高石垣
城から降りて道路に沿って南西方向に行き、南隅の高石垣を見上げる。


⑮きたい丸石垣の穴
先ほどの南隅から北西に進むと本居宣長記念館があり、その北側にあるきたい丸石垣には穴が空いている。


⑯きたい丸西側の高石垣
きたい丸の外側に沿って時計回りに進んで、西側の高石垣を見る。


⑰二の丸東側の高石垣
⑯からUターンして反時計回りに高石垣の下側に沿って進む。降りてきた搦め手(裏門)のところも真っ直ぐすすんで、城跡東側の高石垣を見る。


⑱案内図
右側の「市役所へ」とある道路から来て、表門跡から上に沿ってきたい丸跡へ。そこから本丸跡経由で天守台跡へ。そして下に行き裏門跡から外に出る。このとき途中で金の間櫓跡・月の見櫓跡に寄り道。
裏門跡から城の外に出た後は城に沿って時計回りに左上まで進み、そこでUターン。そこから反時計回りに進んで、最初に来た道路から帰った。


[松坂城跡マップ]


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